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【ドイツ語版Wikipedia】藤原定家

今回は『新古今和歌集』を編んだことでも有名な藤原定家のドイツ語版Wikipedia Fujiwara no Sadaie – Wikipedia を訳していきます。


Fujiwara no Sadaie (jap. 藤原 定家, bzw. in respektvoller Lesung Fujiwara no Teika; * 1162; † 26. September 1241) war ein japanischer Dichter.

藤原定家有職読みでは「ふじはらのていか」、1162年に生まれ1241年9月26日に死去)は日本の詩人である。


Der Sohn des Fujiwara no Toshinari (Fujiwara no Shunzei) gilt als einer der bedeutendsten Dichter Japans und größter Meister der Lyrikform des Waka.

藤原俊成の息子である定家は最も優れた日本の詩人かつ和歌の大家の一人であるとみなされている。


In seiner Jugend trat er als bedeutender Innovator dieser Lyrikform hervor.

若い頃に彼はこの和歌の形式の優れた刷新者として世に出た。


Nach dem Tod seines Vaters 1204 war er als Schiedsrichter bei Lyrikwettbewerben und Lehrer aktiv.

1204年の彼の父の死後、歌合の判者や教師として活躍した。


Im Auftrag des Tennō Go-Toba stellte er zwischen 1202 und 1205 die Anthologie Shinkokin-wakashū aus etwa 2000 Waka zusammen.

後鳥羽院の指示により彼は1202年から1205年の間、約2000の和歌からなる選集、『新古今和歌集』を編んだ。


Später kam es zu Differenzen mit Go-Toba, die zu seinem Rückzug führten.

後に後鳥羽院との間に意見の相違が生じ、それが彼の引退へとつながった。


Nachdem Go-Toba durch das Shōgunat ins Exil geschickt worden war, wurde Fujiwara no Teika rehabilitiert, konnte jedoch aus gesundheitlichen Gründen sein aktives Leben nicht wieder aufnehmen.

後鳥羽院が幕府に追放された後、藤原定家復権させられたが、しかし健康上の理由から彼の活発な生活を再び取り戻せなかった。


Er übernahm dennoch von Go-Horikawa den Auftrag zu einer weiteren Waka-Anthologie Shinchokusen-wakashū, die um 1234 fertiggestellt war.

それにもかかわらず彼は後堀川天皇の勅令により広範な和歌選集、『新勅撰和歌集』を引き受けた。新勅撰和歌集は1234年に完成した。


Er veröffentlichte zudem eine Reihe literaturkritischer Schriften und Sammlungen exemplarischer Wakas, deren bekannteste Ogura Hyakunin Isshu ist.

それに加えて一連の文学批評の著作や模範的な和歌の選集を公表した。その中でも『小倉百人一首』が最も有名である。


Von großer historischer Bedeutung ist sein Tagebuch Meigetsuki (明月記, „Aufzeichnungen des klaren/hellen Mondes“), das er von 1180 bis 1235 führte, in dem er detailliert über die höfischen Sitten, Politik, Wirtschaft, Ereignisse und seine Familie schrieb.

1180年から1235年までつけられた彼の日記『明月記』は重要な歴史的意義がある。その中で彼は宮廷の風俗、政治、経済、事件そして彼の家族について詳細に書いている。


In seinen späten Jahren trat er als Herausgeber alter Texte, so des Genji monogatari, und Verfasser von Renga-Gedichten hervor.

後年は源氏物語などの昔の文章の編者や連歌の作者として有名になった。


私が藤原定家に親しみを持つようになったのは望月光『百人一首が面白いほどわかる本』を読んでからです。

百人一首が面白いほどわかる本

百人一首が面白いほどわかる本

それまでは高校の文学史で名前を見かけるくらいだったのですがこの本を読んで彼のことが好きになりました。この本では『小倉百人一首』の編者である藤原定家源実朝の生まれ変わりである青年の対談形式で百人一首の和歌を一首づつ解説していきます。実朝が現代の視点から和歌を訳すのがとてもよいです。干からびた訳では和歌の素晴らしさは伝わりません(原文を読むに越したことはありませんが)。この本がなによりも素晴らしいのは、複数の異なる歌の解釈が示されており、さらにそこに著者の意見が示されている点です。これは普通で使われている教科書の類ではありえなことではないでしょうか。さらに和歌の背後にある時代背景の説明も丁寧で日本史と和歌が調和しています。もし『和歌で読み解く日本史』みたいな本があったら是非読んでみたいです。