数学とか語学とか楽しいよね

フランス語、ドイツ語、ロシア語、アラビア語、オランダ語、英語、スペイン語、ラテン語とか数学とか数値計算(有限要素法、有限体積法、差分法、格子ボルツマン法、数理最適化、C++コード付き)とか勉強したことをまとめます。右のカテゴリーから興味のある記事を探してください。最近はクラシックの名演も紹介しています。Amazonアソシエイトを使用しています。

【読書リンク】関口存男の著作リンク集

ドイツ語を勉強する人は必ずお世話になる関口存男。ネット上に存在する彼の著作のリンクをまとめます。もう絶版で手に入らない本もありとても有益です。PDFを公開してくださっている方々本当にありがとうございます。ありがたくドイツ語の勉強に活用させていただいています。


ばべるばいぶる
関口存男の著作以外にも貴重なもの多数あり)
PDF文書倉庫(一般公開用)

・趣味のドイツ語
・新ドイツ語大講座(上・中・下)
関口存男の生涯と業績(関口存男著作部分のみ)
・独逸語大講座(全6巻)


関口存男ドイツ語著作集
http://sondern.i3vi3.xyz/

・ドイツ語副詞
和文独訳漫談集(6編)
・英語とドイツ語
・語学苦心談
・語学の勉強法をあらゆる角度から


マキペディア(発行人・牧野紀之)『絶版文庫』
関口存男の著作だけでなく、関係のある方の著作も含む)

・「赤ずきんちゃん(赤帽子)」グリム童話、川村義雄訳注、尚文堂
アンデルセン作「皇帝の新衣装」(裸の王様)、荒木茂雄訳注、三修社
アンデルセン作「びくともせぬ錫の兵隊」、荒木茂雄訳注、日光書院
・いばら姫(グリム童話)、小西長明訳注、三修社
・ヴィンクラー著「真意と諧謔」の注解、関口存男著、三修社
・大野勇二著「詳説中級ドイツ語」(三修社
・大野勇二著「高級独文和訳教室」(日光書院)
・「金の巻たばこ入れ」小西長明訳注、三修社
・クライスト著「拾い子」の注解、関口存男著、三修社
グリム童話赤ずきんちゃん(赤帽子)」川村義雄訳注、尚文堂
グリム童話「いばら姫」小西長明訳注、三修社
グリム童話「幸運なハンス」小西長明訳注、日光書院
グリム童話「灰かぶり(シンデレラ)」小西長明訳注、日光書院
・「原子論」末吉寛訳注、三修社
・「幸運なハンス」グリム童話、小西長明訳注、日光書院
・「皇帝の新衣装」(裸の王様)アンデルセン童話、荒木茂雄訳注、三修社
・「子どもが問題」近藤逸子訳注、関口存男校閲三修社
・シュトルム「湖畔」の注解、関口存男著、三修社
・ショーペンパウエル「学識と学者」の注解、関口存男著、三修社
・「真意と諧謔」(ヴィンクラー著)の注解、関口存男著、三修社
関口存男編集「速成独逸語、昭和13年夏期」
・「びくともせぬ錫の兵隊」アンデルセン作、荒木茂雄訳注、日光書院
ヒルティ「労働術」の注解、関口存男著、三修社
・ヘッベル「理髪師チッターライン」の注解、関口存男著、三修社
・「ラジオ講座のテキスト」NHK。1957年度の1部、1958年度の1部


http://st-prae.blogspot.jp/

・『関口存男著作集 ドイツ語学篇 4』収録『意味形態を中心とするドイツ語前置詞の研究』
和文独訳の実際
・新獨逸語文法教程解説
・初級ドイツ語文法教程
徒然草 第百八段 関口存男 翻訳


国立国会図書館デジタルコレクション
(ほかにもまだまだ眠っている可能性あり)
国立国会図書館デジタルコレクション - 検索結果

・高等独逸文
・初級短文読本
・中級科学読本
・入門科学者のドイツ語. 上巻
・ベルンハルトとローゼル


青空文庫
http://www.aozora.gr.jp/cards/001402/files/49940_57497.html

・新独逸語文法教程解説


Googleブックス
https://books.google.co.jp/books?id=uc_nFOzGJTQC&printsec=frontcover&source=gbs_ge_summary_r&cad=0#v=onepage&q&f=false

・ドイツ文法接続法の詳細


関口存男の著作
http://klapaucius.web.fc2.com/pd/sekiguchi-tsugio.html

・冠詞(全3巻)
・独作文教程

【ドイツ語】『対訳読本篇(郁文堂独和対訳叢書 23)』【4冊目】

阿部賀隆著『対訳読本篇(郁文堂独和対訳叢書 23)』を読み終わりました。総ページは73でコンパクトです。

対訳読本篇 (陏文堂独和対訳叢書 23)

対訳読本篇 (陏文堂独和対訳叢書 23)


内容はその名の通り対訳形式の読本で、左ページ上側に本文が、下側に和訳が、右ページに文法・語法的な解説があります。文法と語法の説明は初級者を意識した親切なもので、ドイツ語文法を一通り勉強した人ならば無理なく読むことができます。

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全部で14の話が収められています。

1. 忘れな草
2. アルト・ハイデルベルク
3. スイス
4. ベートーヴェン
5. モーツァルトの逸話
6. モーツァルトベートーヴェン
7. 旅人の夜の歌
8. サンスゥシーの風車番
9. ゲーテとシラー
10. 故郷
11. 誠実な妹の灯
12. ヴァイマル
13. ベートーヴェンの月光の曲
14. ドクトル・ファウスト

多くの人にとって、ドイツ語をやるきっかけとなったであろうベートーヴェンモーツァルトゲーテ、シラーに関する文章が載っていてとてもよいです。最後には永遠の古典、『ファウスト』論を読むことができます。


Aber niemals hört Fausts Sterben aus. Für dieses Sterben, das sich im Irdischen nie erschöpfte, wird er belohnt; bei seinem Tode wird er von Gott errettet und erlöst.

【読書リンク】『変身』のドイツ語原著、英語版、フランス語版

今回はFranz Kafka(カフカ)著、"Die Verwandlung"(変身)のドイツ語原著、英語版、フランス語版のリンクです。

ドイツ語原著(日本語対訳)
Free bilingual book German / Japanese, The Metamorphosis, I. — I

英語版(日本語対訳)
Free bilingual book English / Japanese, The Metamorphosis, I — I

フランス語版(日本語対訳)
Free bilingual book French / Japanese, The Metamorphosis,    1 — I

【ドイツ語読本】"Nogi Maresuke"(乃木希典)

"Nogi Maresuke"

Nogi Maresuke (jap. 乃木 希典; * 25. Dezember 1849 in Edo; † 13. September 1912 in Tokio) war General in der Kaiserlichen Armee Japans. Nogi wurde in Edo (später Tokio) geboren. Während des japanischen Bürgerkriegs von 1877 diente er als Hauptmann in der kaiserlichen Armee. Später befehligte er im Chinesisch-Japanischen Krieg (1894–1895) eine Brigade und wurde 1895 zum Generalleutnant ernannt. Von 1896 bis 1898 war er Generalgouverneur von Taiwan. Als Nogis größte militärische Leistung wird seine 154-tägige Belagerung von Port Arthur im Russisch-Japanischen Krieg (1904–1905) angesehen. Mittlerweile zum General aufgestiegen, zwang er die russischen Truppen am 2. Januar 1905 zur Kapitulation. Dieser Sieg bedeutete einen großen Erfolg für die japanischen Streitkräfte. Allerdings forderte der Sieg 58.000 Tote und Verwundete auf japanischer Seite, darunter Nogis eigene zwei Söhne. Die Verluste der russischen Truppen betrugen 31.000 Tote und Verwundete. Am 13. September 1912 begingen Nogi Maresuke und seine Frau Shizuko Suizid durch Seppuku, um dem verstorbenen Kaiser Mutsuhito in den Tod zu folgen. Der rituelle Selbstmord stand in Übereinstimmung mit dem Brauch der Samurai, seinem Herrn in den Tod zu folgen (Junshi). In seinem Abschiedsbrief schrieb er, dass er für seine Schande büßen wolle, die er mit dem Tod von Tausenden bei der Belagerung von Port Arthur verursacht hatte. Seinen Körper stellte er der Wissenschaft zur Verfügung. Beide werden in Nogi-Schreinen (乃木神社, Nogi-jinja), u.a. in Tokio (Nogi-Schrein), Shimonoseki und Kyoto als Kami verehrt. Ebenso wurde der Hügel nahe dem Tokioter Nogi-Schrein Nogizaka („Nogi-Hügel“) genannt, der wiederum der U-Bahn-Station und dem umliegenden Viertel den Namen gab.

語句

der Hauptmann:大尉 befehligen:指揮する die Brigade:旅団 der Generalleutnant:中将 der Gouverneur:総督、知事 die Belagerung:包囲 die Kapitulation:降伏 der Verlust:失うこと、死去 betragen-betrug-betragen:数値に達する der Suizid:自殺 die Übereinstimmung:一致、調和 der Brauch:慣習、習慣 die Schande:恥、不名誉 büßen:償いをする verursachen:引き起こす die Verfügung:自由な使用 die Hügel:丘、小山、坂 wiederum:他方、ふたたび das Viertel:地区、区域

日本語訳

乃木希典(1849年12月25日江戸生まれ、1912年9月13日東京にて没)は日本の帝国陸軍の大将である。乃木は江戸(後の東京)に生まれた。1877年の日本の内戦(西南戦争のこと)中に、彼は帝国陸軍の大尉として軍役に就いた。後に日清戦争(1894-1895)において旅団を指揮し、1895年に中将に任命された。1896年から1898年まで彼は台湾の総督であった。日露戦争(1904-1905)における、154日に及ぶ旅順(Port Arthur)包囲は、彼の最も偉大な軍事的成果とみなされている。その間に大将へと昇進し、1905年1月2日にロシア軍を降伏へと追い込んだ。この勝利は日本軍の大きな成功を意味した。もちろんその勝利は、日本側に58,000人の犠牲者と負傷者を要した。その中に乃木自身の二人の息子もいた。ロシア軍の損害は31,000人の犠牲者と負傷者に達した。1912年9月13日に、亡くなった天皇睦仁についていくために、乃木希典とその妻、静子は切腹し自殺した。儀式的な自殺は、死んだ主人についていくという侍の習慣(殉死)に一致したものだった。遺書に、旅順包囲の際の何千人もの死に対して不名誉をなしたことを償おうとした、と彼は書いた。彼は自身の死体を科学のために自由に使えるようにした。両人は東京、下関や京都にある乃木神社等に神として祀られた。また、東京の乃木神社の近くにある坂は乃木坂と名付けられている。他方、地下鉄の駅名と付近の地区にその名前が与えられている。

引用元
Nogi Maresuke – Wikipedia

参考
乃木希典 - Wikipedia

【読書リンク】『水車小屋のウィル』の英語原著、フランス語版、ドイツ語版

今回はRobert Louis Stevenson(スティーヴンソン)著、"Will o' the Mill"(水車小屋のウィル)の英語原著、フランス語版、ドイツ語版のリンクです。

英語原著
Will o' the Mill - Wikisource, the free online library

フランス語版
Will du moulin/Texte entier - Wikisource

ドイツ語版

【ドイツ語】『関口・新ドイツ語大講座 上巻』【3冊目】

関口存男著、『関口・新ドイツ語大講座 上巻』を読み終わりました。ドイツ語の神様「関口存男」の著作です。

新ドイツ語大講座 (上巻)

新ドイツ語大講座 (上巻)


関口存男については、こちらもどうぞ。本来ならばもっときちんと紹介すべきなのですが、それは追々。


『関口・新ドイツ語大講座 上巻』は3巻物の『関口・新ドイツ語大講座』の最初の1巻です。『関口・新ドイツ語大講座』の最も素晴らしい点は、本当のドイツ語初心者を中級、ないしは上級の入り口まで一気に引き上げる点です。こんな素晴らしい語学書を私は他に知りません。もし、ある人がドイツ語を本気で学びたいと言うなら、私は黙ってこの関口存男の3巻本を手渡すでしょう!英語、フランス語、ロシア語でも同じような語学書の登場を切に望みますが、これは天才でなければ書けない類の本なのかもしれません。

『関口・新ドイツ語大講座』の各巻における役割一覧は以下のようになっています。

上巻 ドイツ語の基礎文法を学ぶ(接続法まで)
中巻 短中編の読み物を通して、ドイツ語文の読解及び中級文法を学ぶ
上巻 中巻でカバーしきれなかった上級文法を整理する

上巻は全219ページ、30課でドイツ語初級文法をとてもわかりやすく説明しています。初学者にとってわかりづらい接続法の説明も明快です。この本を2、3周すればドイツ語基礎文法は盤石でしょう。

構成はまず、文法の説明がなされ、そのあとすぐにその文法事項を含む例題を読む、というものです。例題のあとには解説がついています。非常にオーソドックスですが、私はこれが最強だと思います。

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新ドイツ語大講座 (上巻)

新ドイツ語大講座 (上巻)

新ドイツ語大講座 (中巻)

新ドイツ語大講座 (中巻)

新ドイツ語大講座 (下巻)

新ドイツ語大講座 (下巻)


どうやら上巻だけは『関口・新ドイツ語の基礎』として組版しなおしたものが出ているようです。私は持っていませんが、見たところ読みやすくなっています。

CD付 関口・新ドイツ語の基礎 復刻版

CD付 関口・新ドイツ語の基礎 復刻版


さらにインターネットにPDFをアップロードして下さっている方がいます。詳しくはこちらの記事をどうぞ。
mathlang.hatenablog.com

【ドイツ語読本】"Kobayashi Hideo"(小林秀雄)

"Kobayashi Hideo"

Kobayashi Hideo (jap. 小林 秀雄; * 11. April 1902; † 1. März 1983) war ein japanischer Literaturkritiker und Schriftsteller. Kobayashi studierte französische Literatur an der Universität von Tokio. Seine literarische Karriere begann mit dem Gewinn eines zweiten Preises der Zeitschrift Kaizo für den kritischen Essay Samazama naru Isho. Er verfasste in den Folgejahren kritische Texte zur zeitgenössischen und klassischen Literatur, Philosophie und Kunst. 1931 wurde er Herausgeber der Literaturzeitschrift Bungaku-kai. Hier veröffentlichte er in einer Serie seine Biografie Dostojewskis und den Artikel Watakushi Shosetsu Ron, einen Angriff auf das in Japan populäre Genre der autobiographischen Novelle (watakushi shosetsu). Während des Zweiten Weltkrieges setzte sich Kobayashi für die japanische Militärpolitik ein. Er veröffentlichte 1937 in der Zeitschrift Kaizo, einem führenden intellektuellen Magazin Japans, den Essay Senso ni tsuite (Über den Krieg) und berichtete auf mehreren Reisen (u.a. gemeinsam Kawabata Yasunari und Yokomitsu Riichi) aus Korea, China und der Mandschurei. Nach dem Krieg wurde er wegen seiner Unterstützung der japanischen Kriegspolitik angegriffen, war jedoch keinen Repressionen ausgesetzt und bewahrte seinen Ruf als bedeutender Literaturkritiker. Er veröffentlichte 1946 Mujo to iu koto (Auf der Durchreise), dem eine Mozart-Biografie und eine Ausgabe der Briefe Dostojewskis folgten. Er übersetzte Werke von Charles Baudelaire und Arthur Rimbaud. Bücher wie Watashi no jinseikan (engl.: My View of Life) und Kangaeru hinto (engl.: Hints for Thinking) wurden Bestseller. Von Kaiser Hirohito wurde er 1967 mit dem Kulturorden (Bunka Kunsho) ausgezeichnet.

語句

verfassen:執筆する der Zeitgenosse:同時代の人 der Angriff:攻撃 eisetzen:投入する gemainsam:共通の、一緒の die Unterstützung:支援 die Repression:抑圧 aussetzen:さらす、外に置く bewahren:守る die Duchreise:(旅行中の)通過 der Orden:勲章

日本語訳

小林秀雄(1902年4月11日生まれ、1983年3月1日没)は日本の文芸批評家、作家である。小林は東京大学(東京帝國大学)でフランス文学を勉強した。彼の文学経歴は、批評的なエッセイ『様々なる意匠』が雑誌『改造』の第二等賞を受賞したことに始まった。彼は翌年、同時代および古典な文学、哲学、芸術に関する批評文を執筆した。1931年に彼は文芸雑誌『文学界』の編集長になった。このとき彼はシリーズもののドストエフスキー(Dostojewski)の伝記(『ドストエフスキイの生活』)と記事『私小説論』を発表した。『私小説論』は日本において人気のある自伝的短編小説のジャンル(私小説)に対する攻撃であった。第二次世界大戦の間、小林は日本の軍事政策に力を尽くした。1937年に彼は、日本における知識人のための一流雑誌『改造』に、エッセイ『戦争について』を発表し、朝鮮、中国、満州へのいくつかの旅行(川端康成と横道利一と一緒のものなど)を報告した。戦後、日本の軍事政策を支援したため彼は攻撃された。しかし、彼は抑圧にさらされず、著名な文芸批評家としての評判を守った。彼は1946年に『無常といふこと』を発表し、そのあとに続くモーツァルト(Mozart)の伝記(『モオツアルト』)と『考えるヒント』はベストセラーになった。昭和天皇より彼は1967年に文化勲章を受章した。

引用元
Kobayashi Hideo – Wikipedia

参考
小林秀雄 (批評家) - Wikipedia